うっとりべとは?

鵜浦から羽咋の気多大社まで鵜捕部3人が鵜を運び、来年の吉凶を占います。(鵜祭り)

内容

12月12日頃、七尾市鵜浦町鹿渡島で鵜捕主任が鵜を生け捕ります。
この時から鵜は鵜様と呼ばれ、鹿渡島に在住する鵜捕部のうち年番にあたる三人が、交替で鵜籠を背負い
「うっとりべー、うっとりべー」
と言いながら、約40キロの道のりを2泊3日かけて気多大社へ歩いて向かいます。
14日夕方に気多大社に到着します。鵜は修祓をうけて神饌所に安置され、中一日おいた16日午前三時すぎより神事がはじまります。





神事

ローソク二本の明りで祭りが開始され、殿上の執事役が「うとりべ、うとりべ」と呼ぶと、白丁姿をした鵜捕部三人が鵜籠を抱え、御本殿下にかしこまり「おお」「羽そそげたるか、足痛みたるか、よく見よとのたもう」「鵜は新鵜にて安くけげしく候」この後、問答があり、鵜は籠から神前に放たれます。鵜はローソクのあかりの方向に進みます。そして案上(木製の台)の、のぼりかたにより土地の古老が豊凶を占います。。

宿泊所について

12月12日
七尾の神社に宿泊していた時代がありましたが、いつの頃かある時鵜捕部の方が酒に酔い神様の所に小便をしてしまい喧嘩になってから旅館に宿泊するようになったと聞いております。
12月13日
良川町の鵜家宅。昔、羽咋へ向かう途中、東往来の道に来た頃、日が暮れ向かい岸に灯りがついている家があり泊めていただいた。これが鵜家の家だった。明治になり苗字対当の時、「鵜」が泊る家ということで「鵜家」になったと伝わっています。

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